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日本における独立系のベンチャーキャピタルの先駆者としてスタートした
グローバル ベンチャー キャピタル。
創業から10年、ベンチャー企業のアーリーステージから投資して
ベンチャーの育成・サポートに徹する新しいビジネスモデルは、
日本のベンチャーキャピタルの世界に着実に根を下ろしている。

interviewer:森本紀行(HCアセットマネジメント代表取締役社長)
photographs:工藤睦子

起業の現場へのコミットメント

【森本】 長谷川さんは、野村総研(野村総合研究所)時代、自動車アナリストとして活躍されていましたね。「日経ランキング」でもNo.1を取るなどアナリストとして高い評価を受けていらしたのに、なぜ、ベンチャーキャピタルの世界へ転身されたのですか。
【長谷川】 自動車業界のアナリストの仕事は、基本的にメーカーや部品会社など大企業を相手にするものなのですね。それはそれでもちろん、有意義なものだし、仕事としても興味深いものでした。しかし、自分のやっていることが社会に対してどのように貢献できているのかが非常に見えづらいポジションでもあるのです。クライアント企業にアドバイスをしても、それが実際どう役立ったのかなど、手ごたえが得にくい面もありました。私自身、自分のノウハウを何か社会に役立てたいという気持ちが強くありまして、より実感を得られる仕事がしたいと。それなら、ベンチャーの世界がいいのではないかと思い、ベンチャー企業に強く惹かれるようになっていたのです。
【森本】 なるほど。
【長谷川】 だから、野村総研時代にもベンチャーのセクションに移って1年半くらいベンチャーのコンサルティングをしています。ですが、コンサルティング業務の限界を感じたといいますか、一方的に話すだけでプロセスにも結果にも責任をもたないあり方に非常に不満を感じました。もっと起業の現場にコミットメントできる場所で「プレーをしたい」という気持ちがどんどん強くなって。そこで、今度はジャフコに3年ほど出向して、実際にベンチャー起業に携わる仕事を経験しました。この経験を通して、自分の中で望ましいと考えるベンチャーキャピタル像が、だんだん明確化してきたと思います。

ベンチャーキャピタルの魅力

【森本】 せっかく積み上げたトップアナリストのポジションを捨ててまでも、長谷川さんを駆り立てたベンチャーキャピタルの魅力とは、一体なんだったのですか。
【長谷川】 ベンチャー企業の経営者は、リスクを取って、つまり自分の人生を賭けてビジネスをしているわけです。対して、アナリストもそうですが、キャピタリストは、大企業のサラリーマン的な感覚で、非常に安定したポジションで関わるわけですね。たとえば、大手企業の人たちは、打ち合わせをするにも、「土曜日は休みです」となるし、「できるだけ5時前にしてくれ」というようになりますよね。しかし、ベンチャーの経営者は、そういう感覚ではありません。平日の夕方の5時までは営業回りしているわけで、打ち合わせも夜の8時とか、土日じゃないと時間が取れない人がほとんどですから。こういう9時から5時まで、月曜から金曜までという企業カルチャーには、個人的には非常に違和感をもっていました。だから、ベンチャーの人たちと同じような目線、立場で、リスクを取った活動をすべきだと思いましたし、それが、すごい魅力に感じてもいました。
【森本】 そこで、長谷川さんはグローバルベンチャーキャピタル(以降、GVC)を立ち上げられたわけですが、会社設立はどのような経緯で進みましたか。
【長谷川】 創業は、1996年の6月です。私とマイケル・J・コーバー、そして現在はLPL日本証券代表取締役社長の米田隆氏の3人で始めました。もともと米田氏とマイケルの2人は、「グローバル・リンク・アソシエイツ」というコンサルティング会社をやっていました。米田氏は日本興業銀行出身で、プラベイトバンキング部門において、とくに資産家の資産運用のコンサルティング業務をしていました。マイケルは、野村総研で、やはり企業の経営コンサルタントをしていまして、弁護士の資格も持っています。私は、この2人とは、長く仕事上の付き合いをしておりまして、私が1984年に野村総研に入社した際、マイケルは同期でしたし、米田氏とも野村総研時代から勉強会などでよく一緒に議論をしてきた関係でもありました。
【森本】 GVCを立ち上げられた1996年は、まさに「失われた10年」のさなかで国内の証券市場が非常に低迷していた頃ですよね。
【長谷川】 そうですね。ただ、国内でも、97年くらいから新しい株式の新規公開市場を作るべきだという議論が起きてくるようになりましたからね。98年の金融ビッグバンのスタートとともにさまざまな規制緩和が進み、99年にはマザーズ、ナスダックジャパン(現・ヘラクレス)といった新興企業対象の新しい株式市場ができてきます。その意味で、非常にいいタイミングで事業をスタートできたな、と思っています。

パートナーシップを重視

【森本】 日本のベンチャーキャピタルで「グローバル」を掲げるのは、当時としてはかなり先駆的なことではなかったのかという気がしますが。
【長谷川】 グローバルスタンダードでやっていこうという志がありましたから、この名前に決まったのはごく自然の成り行きでした。
【森本】具体的にはどのようなミッションを展開しようとしたのでしょう。
【長谷川】 それまでは、国内の証券市場において株式を新規公開する企業は、大体、創業後23年から30年というかなり歴史のある企業が多かったわけです。しかし、米国でたくさんのベンチャー企業が起こっているのは、創業してすぐに株式の公開や市場上場を目指すというスタイルが確立しているからです。日本でも株式公開を目標に掲げるベンチャーを作り出す必要があるべきだし、また、新興企業の株式公開の受け皿が整ったことで、こうした新しいベンチャーの起業のチャンスが広がってきたといえます。したがって、私たちは、創業時から株式を公開する志向性をもち、創業から3年ないし5年のうちで株式を公開するベンチャー企業の支援に取り組んでいます。これは、日本においては、新しいモデルになるのですが、アーリーステージの段階から投資をして、ベンチャー企業をハンズオンするパートナーシップを重視したベンチャーキャピタルの運営が、私たちのスタイルになります。
【森本】 なるほど。アメリカのスタイルを日本にも導入しようという。
【長谷川】 そうです。また、どこの系列にも入らないで、自分たちの能力とネットワークで運営する独立系として活動するのも私たちの特徴です。近年、独立系ベンチャーキャピタルが続々誕生してきていますが、その先駆的存在といっていいと思います。しかし、設立当初は、こうした独立系のベンチャーキャピタルに対しては、大変ネガティブな意見が主流でした。たとえば、「資金が集まるのか」「いい案件をつかまえられるのか」といった声を多く聞きました。他のベンチャーキャピタルに行って断られたおこぼれのようなものが回ってくるだけだろう、というひどいことを言われたこともありました。他にも、「アーリーステージに関わっていても利益にならない。公開直前の企業に投資するのが成功の秘訣だ」といった声もずいぶん聞かされました。私たち自身としては、こうした声に対しても、パートナーシップでやっていくという理念に基づいた姿勢を貫くことで応えていきました。

【森本】 日本のベンチャーキャピタルは、ある意味お金を出すだけというイメージがありますからね。
【長谷川】 まさにその通りです。最初は本当に厳しかった。私たちの姿勢が実際に評価されるようになるのは、やはり、ファンドの実績が高まってからのことです。1996年にスタートした1号ファンドは、6億5000万円と非常に規模の小さいものでした。しかし、1999年10月に2号ファンドを、2000年4月には3号ファンドを立ち上げ、2005年5月には4号ファンドと、着実にファンドを継続できているのは、われわれの新しいビジネスモデルが日本に定着してきた「証し」だと考えています。
【森本】 ファンドの出資者は、どのような人たちなのでしょうか。
【長谷川】 設立当初は、3人の個人的知り合いから資金を投下してもらっていました。自分自身でベンチャー経営をした経験を持ち、会社を立ち上げて大きくしていく過程の苦労を知り、そのとき、パートナーがいたらよかったな、という考えを持った人たちです。後に続く後輩ベンチャーの力になりたいと考えている人たちですね。
【森本】 儲かりそうだから金を出そう、という考えだけではダメと言うことですね。
【長谷川】 そうです。私たちのやり方に、納得、あるいは共鳴していただける人たちとも言えますね。

ドリームズ・カム・トゥルー

【森本】 ファンドの運営は、どのような考えで展開していますか。
【長谷川】 1号から4号までのファンドについては、それぞれに特色を持たせているわけではなく、まったく同じフレームワークで構築しています。ファンド運用に当たっては、ベンチャーキャピタルとしてのコンプライアンスやガバナンスを重視します。たとえば、ファンドは並行してつくらない、ということを原則にしています。1号が終わったら2号、2号が終わったら3号、という形でファンドの運用期間内に出てきたいい案件については、すべて運用中のファンドに入れていきます。私たちの基本的ポリシーは、投資者のパフォーマンスをあげることが第一いうもので、株主に操を立てる必要はないと思っています。
【森本】 ベンチャーキャピタルの株主はベンチャーキャピタル自身という考えですね。
【長谷川】 ええ。投資者の投資パフォーマンスを上げるために、ベンチャーの成長をバックアップするというスタンスです。したがって、ファンドへの投資資金からコンサルティング料や役員報酬を受け取ることはしませんし、ベンチャーキャピタルの業務とは関係のないアルバイトに精を出すといった、ベンチャー企業のサポートに必要のないことには絶対に手を出しません。私たちの収入は、すべて成功報酬から得る形になっています。
【森本】 管理報酬だけで運営しておられるわけですが、回収の遅いビジネスですから、スタート時は大変だったのではないですか。
【長谷川】 まったくおっしゃる通りでした。1号ファンドの時には、最初は本当に苦しい中でやっていました。しかし、マザーズやナスダックジャパンなどができて、フォローの風が吹いてきた1999年に初めてキャピタルゲインを獲得できました。
【森本】 長谷川さんは「ドリームズ・カム・トゥルー」という言葉をよく使われていますね。
【長谷川】 ベンチャービジネスを成功させる経営者の夢を、私たち自身も夢を持って実現したいきたいという願いを表したものです。夢を持つベンチャー経営者を支援して、その夢が実現できたら、私たちも、出資者もハッピーになれるという三方両得になれるわけですからね。また、出資者により多くの分配を提供するために働くのが、ベンチャーキャピタルとしての一番の役割ですから、より高いIRR(内部収益率)こそが、私たちの勲章になります。
【森本】 実際のファンドの運用パフォーマンスはどのようになっていますか。
【長谷川】 2005年の10月段階ですが、1号ファンドは113%、2号ファンドも今年上場する企業があるので、プラスになります。3号ファンドは、10%です。

Private Equity
グローバルベンチャーキャピタル株式会社

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